バロックってなあに?バッハってめんどくさい人なの?

川口市(鳩ヶ谷)で楽しくピアノ・エレクトーンが学べるお教室、グリーンライト音楽教室主宰 清水南妃(シミズナミキ)です。

お教室は12/22に今年の全レッスンを終了いたしました。
来年は1/8〜始まります。
クラシックコンサートを控えているので、ちょっと早めにスタートです。

22日にヘロヘロでレッスンを締め、23日には楽しみにしていたベルギー在住の末次先生の「古楽器から考えるバロック音楽の装飾法のワークショップ」に参加してきました。

もうワークショップのタイトルだけでガクブルしちゃう、エレクトーン出身者の南妃せんせーなんですが、ここは意を決して行ってきましたよ。
(私のピアノの先生、ちひろ先生もご一緒だったし)

そもそもエレクトーン出身者は古典と言われる分野は不得意な方が多いと思います、ええ、私だけではないはず!!!笑

エレクトーンはヤマハさんの登録商標(商品名)であって、総称は「電子オルガン」です。
バロック時代はオルガン(パイプオルガン)全盛期ですから、同じじゃん?と思う方もおられるかと思いますが、同じなのは鍵盤が上下(もしくはもっとある)に分かれている所とベース(足鍵盤)があることくらいで、構造的にも性質的にも違う楽器です。

そもそも!エレクトーン主体の電子オルガン科ではほぼ習いませんからあああ!バロック時代なんて!!!

ひと吠えしてスッキリしたので、末次先生のワークショップのお話に参ります。

ピアノ学習者が四苦八苦する「バッハさま」をほぼ完スルーしてきた南妃先生。
聴くのは大好きなんですけどね、弾くのはねええええっていつまでも言っていられない。
頑張れ!私!笑

ってことで末次先生のワークショップの「古楽器」「バロック音楽」「装飾法」の説明から・・・

古楽器は文字通り「古い楽器」ピアノの前身です。

クラヴィコード
チェンバロ
パイプオルガン

今回はこの3台の楽器。
どれも初めて触る楽器です。

バロック音楽って?


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
の解説
バロック音楽
バロックおんがく
Baroque music

1600年頃から J.S.バッハが死ぬ 1750年頃までの約 150年間の西洋音楽をいう。美術史上の用語を転用した言葉で,通奏低音の技法が声楽,器楽を問わず多く用いられたため,「通奏低音の時代」ともいわれる。イタリアでは G.ガブリエリを中心とするベネチア楽派コンチェルト (→協奏曲 ) 様式フィレンツェモノディ様式が先駆となり,また A.スカルラッティを中心とするナポリ派のベルカント唱法による名人芸的な華美なオペラが盛んとなった。器楽ではソナタ,コンチェルト・グロッソ,ソロ・コンチェルトなどの形式が生れた。フランスでは 17世紀後半からベルサイユとパリの貴族社会を背景に荘重さと繊細さを合せた世界を現出。作品では J.リュリや J.ラモーのオペラ,F.クープランのクラブサン音楽がある。ドイツではフランドルポリフォニーの伝統のうえにイタリアから二重合唱様式やモノディ様式を取入れ,さらにプロテスタント教会コラールを用いてドイツ独自の教会音楽を築き上げ,バッハと G.ヘンデルによって集大成されて,芸術の一典型の高みにまで達した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

個人的には歴史がらみだと理解しやすいかな〜。

バロック音楽の背景
劇音楽が誕生した1600年から、大バッハ(J. S. バッハ)の死んだ1750年までの約150年間をバロック音楽の時代とよびます。政治的には絶対主義の時代です。なかでも、その体制を最も早く確立したフランスでは、この時期、ルイ13世(在位1610-43)、ルイ14世(在位1643-1715)、ルイ15世(在位1715-74)という3代の君主が立ち、とくにルイ14世時代には、バロック建築として有名なヴェルサイユ宮殿を中心に、けんらんたるフランス文化が繰り広げられました。しかし、ドイツはまだ統一されておらず、諸侯が分立している形が続いていました。神聖ローマ帝国の皇位継承権を持つオーストリアがやや衰えを見せ始め、むしろ新興勢力であったプロイセンが次第に優位に立ち、18世紀の中頃にはフリードリヒ大王(在位1740-86)が登場してきます。

17世紀時代にはオーストリアのハプスブルク家の分国のような形だったスペインは、フランスのブルボン王朝の隆盛にともない、18世紀初めにはブルボン朝系の王による絶対主義国家となりました。イギリスは16世紀後半のエリザベス女王のあと、1649年の清教徒革命、60年の王政復古、88年の名誉革命といういくつかの歴史的な事件を経て、1707年にはスコットランドを併合して大ブリテン連合王国となります。その頃には、清教徒革命後にアメリカに移住した人たちによってアメリカが建国され、1776年に独立宣言を行うことになります。ロシアはやや遅れて、近代国家としての形態を整え始めましたが、まだこの時期には充分にその力を発揮するには至っていません。

このバロック時代に先立つ3世紀ほどの間は、ヨーロッパ全土にわたってルネサンスの運動が展開された時期です。ルネサンスというのは、14世紀頃から16世紀頃にかけてヨーロッパにおこった精神的、文化的な運動です。それまでの文化が王侯貴族や聖職関係者によって作られていたのに対して、一般市民階級の間におこった世俗的市民文化であるという特徴があります。

ルネサンスは自然と人間を発見した文化だといわれています。これは1つには、科学の発達によって人々が世界観の広がりに目ざめたことと、それによって人間とはなにかを考えるようになったことと関係があります。いいかえれば、中世的な教会と対立せざるをえなくなった状況から生まれてきたのがルネサンスでした。つまりルネサンスとは、「人間のあるがままの姿を追求するというヒューマニズムの精神」にほかなりません。また、1453年にはビザンツ帝国が滅亡して、イタリアへ亡命してきた学者や文化人により、古代の学術書や文学書が紹介されて大きく啓発されたことも刺激となりました。そうしたルネサンス思潮は、15世紀におけるグーテンベルク(J. G. Gutenberg, 1400頃-68)の活版印刷術の発明と発達によって、ヨーロッパ全土に急速に伝えられていくことになります。

こうして、15世紀時代には、画家のボッティチェリ(C. Botticelli, 1444-1510)をはじめ、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonaldo da Vinci)、ラファエロ(S. Raffaello, 1483-1520)、ミケランジェロ(B. Michelangelo, 1475-1564)などが現れます。また科学の面では、地動説のコペルニクス(N. Copernicus, 1473-1543)やそれを発展させたガリレイ(G. Galilei, 1564-1642)などが現れ、印刷術と同様に、羅針盤や火薬の発明などが相次ぎます。こうして精神的な面だけではなく、物質面からの人間の思想的変革も行われるようになって、人々の考え方を根本的に変えていくことになるのです。

音楽史でバロック時代といっている時期は、そうした人間精神の変化と社会的な情勢の変化を受けて、次のフランス革命による近世的な人間性への目ざめ、つまり、個人としての人間が確立されていくまでの、過渡的な時代といえるでしょう。同じように音楽もまた、近世音楽(つまり和声音楽)への準備的な時期であるといえます。いいかえれば、「われわれが現在親しんでいる音楽のさまざまな要素が、この時代にほとんど登場しはじめた」といってもいいでしょう。

このバロック時代で音楽史的に大切なことがらは、2つあります。1つは劇音楽(直接にはオペラ)の誕生とその発展であり、もう1つは本格的な器楽が興隆(こうりゅう)したことです。

YAMAHA 音楽史を学ぶ

日本だと関ヶ原の戦いが1600年なので、その辺あたりから150年がバロック音楽の時代なんだそう・・
あれ?徳川家の天下とほぼ平行なんだ〜と。
意外と最近(?笑)ですね。
徳川(江戸)終わると、明治、大正、昭和、平成ですからね〜。

装飾法については、装飾音符から説明しないとアレなので割愛。笑

このワークショップ、シリーズで3回目だったのですが、私、初めてのお豆ちゃん状態だったので、色々と前回のお話も含めての優しいスタートでした。

まずは・・・楽器に触ってみました!が・・・

弾っけなああ〜〜〜〜い!!!笑えるほど弾けない!!!

打鍵の感触もそれぞれの楽器で全く違うし、ピアノのそれともエレクトーンのそれとも違う・・
うわあああって一気にのめり込みました。
クラヴィコードなんて汚い音しか出ないし!

一通り触ってから末次先生からお題。
「バッハはこの楽器それぞれで奏法を変えていたんでしょうか?」と・・・
(答えは末次先生に聞いてくださいね。ネタバレになりますし)

最初に末次先生からお話がありました。
「私は答えを教えないかもしれません。お話を聞いて頷くだけのセミナーは流れてしまいがち。ご自身で考えて答えを出してください」と。
もちろん歴史的に資料が残っているものもありますが、昔のものは「本当にそれはその人が書いたのか?」はとても曖昧なものです。

弾くことに限定していえば、私のように手の大きな人が書いた作品と、小さな人が書いた作品では指番号(運指)が違うのは当然じゃありませんか?
私は少なくとも手の大きさに応じてアレンジをしますので・・・

何も指番号がない楽譜に「私が考えた指番号をふってみる」というのもありました。
楽器を触らないでやる。
いやあ〜できませんでした!笑
基本的に「指番号を守る」というのを仕上げないといけない曲以外やってないので、あーあーあーって唸って少しだけふって・・・
そんな唸っている私に末次先生は「じゃここだけ」とか「では、ここは?」などたくさんのヘルプを出してくださいました。

で、バッハ様の指番号が配られる!!!
あはは〜ぜんぜ〜〜〜〜ん違う!
でも、それでいいんですって。
そこから考える。
じゃ、なんでバッハ様はこういう指使いで書いたのでしょう?と考えるところから・・・

末次先生は「核をつかめると」と何回かおっしゃっていました。

この曲のここの部分はこういう指使いで・・・って弾く(学習)する私たち。
でも、バッハ様の指使いは予想をはるかに裏切る運指でありましたっ。
なんでバッハ様がこういう指番号をふったのか?を紐解くことで(想像することで)だいぶ他の面も見えてきませんか?と。

装飾法も同じくでした。

私の知らない装飾法がいっぱいあって、うーんうーんと唸りながらやってみたのですが、よくわかんないのが本音。

で、またバッハ様の装飾をみてびっくり!なんでこんなにいっぱい???
なんで?なんで?
たぶん、その「なんで?」が大切なんじゃないかな?とここいらで思い始めました。

私はバロックにもバッハ様に関しても、下地が少ない状態で参加しました。
インヴェンションもほぼやってない。
逆に言えば「バッハはこう弾け」的に習っていないのです。
だからね、す〜っと素直に入っていったのかもしれません。
まあ、そもそも「こう弾け」的なものは好きじゃないっていうのもありますけどね・・・苦笑

レッスンでも子供達は指番号に四苦八苦しています。

「いいじゃん!これでも弾けるし!」とキレ気味に怒る子もいますよね。
そのくらい鬱陶しいものです。
(ちなみに手の形もそうですけどね・・・うちの子たち・・・)

でも、指番号も「なんでこう付いているか?」がわかると、文句を言わなくなりますし、自分で「ここまで指がないとダメだから3なんだね?」って確認してきます。
これスラー付いているから切っちゃダメなやつ、だから・・・どうすればいいの?!?と聞きます。
和音も「こことここは繋げるから、指が足りない!どうすればいいの?」って聞いてきます。

末次先生のワークショップ、そこに繋がるんじゃないかな〜って思いながら受けていました。

「こう弾きなさい」ではなく
「なんでこうなっているの?どうしてだと思う?」なのではないかな?
それに歴史的、音楽的裏付けを付けてくれる。
(私にないのはソレ!!!)

普段使わない部分の脳みそフル回転でしたね〜。
感覚のトビラが開くっていうか、全毛穴が開くっていうか・・・笑
(よくわかんないこと書いてますね。また)

1つ大きな知らない扉を開いたのは確かです。
ちょっとバッハ様とお友達になろうかな〜なってくれるかな〜って思えた・・・
これだけでも私には大収穫!!!

正直、わからないこともいっぱいだったんです。

でもね、全体的に興味深くお話が伺えた。
なんかこう「バッハ様のカツラのクリクリ1すじ・・・掴んだかも?」の状態です。

このワークショプで感じたことの1/10も書けていません。
でも、今の自分の表現だとここで精一杯です。

自由にやっているつもりでも、いかに自分が「画一的な教育」に取り憑かれているのか?よくわかるワークショップでもありました。

ここまでで随分長くなっちゃったので、楽器のお話は次にでも・・・

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