考えて(感じて)弾くということ

川口市(鳩ヶ谷地区)でエレクトーン・ピアノレッスンをやっております、グリーンライト音楽教室の清水南妃です。

大々的に宣伝しておりませんが、実は新しいお教室の仲間を募集中です(体験レッスンにきてね!)

 

さて、少し前にツイッターだったかな?「海外から帰ってきて日本の大学に入ったら、会話のレベルが低すぎて嫌になり、海外に戻り大学を受け直した。将来の話も、政治の話も、自分を取り巻くいろんな話をしない。」という話がありました。

校則という縛りもなくなり、お年頃ということも加わり、確かに一般大学の学生はあまり勉強しませんからね@日本

専門職と教職以外の大学生がお勉強するのは卒論の時期だけといっても過言ではないはず・・・

あん?大学生にケンカ売ってんですか?と言われちゃいますね。笑

ピアノやエレクトーンとなんか関係があるんですかっ?と怒られちゃいますかね。

 

これね、今の大学生を批判しているわけではなく、私の時代からこんな感じだから変わっていないってことでしょう。

 

音楽となんの関係が?と問われると・・・

私は「考える(感じる)クセ」だと思っています。

音楽やっている人は、自分の音楽レベルがどーのとかの問題ではなく、いつもよく音楽のことを考え、仲間と集まるとあーでもないこーでもないと議論し、セッションしています。

これは年齢関係なく、いつも常に追求していますね〜。

これが当たり前の世界。

 

この考えて・感じて・セッションして・さらに深く高く音楽性を追求していくって作業は一体どこで身についたんだろうかなあ?とちょっと考えてみました。

小さい頃からの「どうしたら弾けるようになるんだろう?」という思考と練習と言う名の実験を自らで繰り返しているんですよね。

特にうちのお教室のレッスンは「答えをあげない」方式なので、生徒ちゃんたちは子供の頭を駆使して、いろんな答えを出してきます。

ほら?考えているでしょ?

ああ。学校の先生が望むような「定番文句」は却下しますので、高学年になるとかなり困っていますけれどもね。笑

どうしても「みんなと同じ答えをいう」時期は、どの子にもありますから。

 

文章にするか?話すか?音で表現するか?はその人それぞれで違います。

そしてその違いが許されるのが音楽の世界です。

 

日本の大学生たちだって、小さい頃はもちろんチビッコでいろんな発想をしていたはずなんですよ。

さて、誰が画一的にしちゃったんでしょうね?悪い大人かな?笑

その方が会社では使いやすいし、学校でもトラブル起きないのが日本社会ですけれどもね。

 

日本は隠すことを美徳とする文化がありますので、全てをおおっぴらにとは申しません。

ただね〜考えるクセはつけないと、脳は考えることを辞めてしまうんです。

それはもったいなくありませんか?

 

 

 

 

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