マルの呪縛に落ちてませんか?

川口市(鳩ヶ谷地区)のピアノ・エレクトーンで楽しくレッスンしているお教室、グリーンライト音楽教室主宰の清水南妃です。

画像はなみき先生が30年前以上昔にマルもらったハノンちゃんです。

 

ピアノやエレクトーンやっているとどうしても落ちる落とし穴。

「マルもらう」

え?何で落とし穴?って思いましたよね?

「マルもらっていらっしゃい。」

「今度、マルもらってくるから。」

「まだマルもらえないの?」

普通にご家庭で交わされる言葉かと思います。

確かにね、マルもらったこと=弾けたって思いますからね〜。

でもね、先生的には弾けたっていうより、「とりあえず完成を見たね」って感じなんです。

その曲にある「課題」はクリアしたねって言ったほうがいいかな?

 

4小節くらいの小さな曲にもそれぞれの課題があり、それをクリアするまで「マル」は出しません。

他がどれだけ弾けていようと出しません。(例外もありますよ。次の曲も同じ課題が続くとか、どうしても生徒ちゃんのモチベーションが保てないとかね)

 

私も講師の先生も課題をクリアすることと、子供の満足度を見ています。

自分なりに弾けたって本当にそう感じているか?

もうこれでいいやって投げやりになっていないか?早く終わらせたがってないか?

 

だいたいその裏に保護者さんからの「マルの呪縛」があるんですよね。

(子供達はね、ほっておくと意外とねちっこく完成を見ようとしていますよ。まあ、ほっておくと練習がおろそかになったりもしますからね〜この塩梅難しいんですけど)

その呪縛、意外と上達の妨げになります。

チビッコだと「ママがマルって言ったもん」と泣かれたり・・・

少し大きい子だと「マルだと思ったのに・・・」とふてくされたり。笑

その度に講師たちは「マル・・・ねえ・・」と苦笑いしちゃうんです。

 

講師たちはたやすくマルなんてもらえない道を歩んできています。

そして先生がマルをくれた後、自分なりの曲の消化をしないとあかんってことも痛いくらい知っています。

 

マルをもらった後、曲を弾かない子はいま、普通ですね。

好きな曲がない子も普通。

考えてないからね、弾いているときに。

こんな風に弾いたらどうかな?この曲好きだから何度も弾きたくなるな〜。とかね、思わない子多いんです。

1曲1曲がただのステップ。

どれも素敵な曲なんだけれどね〜(好き嫌いはあるでしょうけどね。笑)

 

マルはね、終わりじゃなくて始まりなんです。

マルもらってから初めて、自分の曲として煮込める。

カレーも翌日が美味しいでしょう?

それと一緒。

何度も何度も愛した曲はマルもらった時とは格段に違う味を出します。

 

知ってほしいな〜その味をって思います。

音楽は処理するもんじゃなくて、味わうもんですよ。

パソコン作業とは違います。